腹へったまま眠りにつくと、朝は空腹感がなくなっている

寝る

しばらく我慢していると、それが普通になっていく。



この記事を読むとわかること

・夜、お腹が空いた状態で眠ると、
起きた時は空腹感が持続しない。

・何か我慢し続けていても、
ある時、その状態に慣れて、それが普通になっていく。

・目標を達成するための鍛錬であれば、
継続していると負担が少なくなってくる。

・何かストレスや悪い影響の場合も、
それが普通になってしまうから注意が必要だ。

・苦しんでいる時、当初よりは負担が軽くなったと
希望的観測をするのではなく、
「我慢し続けた上で慣れてしまっているだけで、
悪化している現状を改善するにはどうすれば?」と、
自分の置かれている状況を客観的に分析していこう。



1、そろそろ寝ようと思うけど、お腹が空いて仕方ない!

夕食後から寝る前の間の空腹感。


それは、突然やってくる。


夕飯を食べたのに、
なんだかお腹が空いてくる。

気がつくと、空腹に襲われている。

何か食べたい!
でも寝る前に食べると体に良くないかも。

でも、どんどんお腹が空いてしまった。

お茶漬けとか、あっさりしたものならいいか。

できれば、カップ麺食べたいな。

この遅い時間に食べるカップ麺、
背徳感があるけど、
最高に美味しいんだよな。

もうお腹が空いて、
それしか考えられない。




さて、そんな時、
あなたはどうするだろうか?


今回、カップ麺の誘惑に打ち勝ち、
見事、眠りにつけた場合について、
書いていく。





2、朝起きるとそんなにお腹が
空いてない?

ひどい空腹感に耐えながら眠りにつき、
空腹を持ち越して朝がきた。


これでは、朝ごはんはおかわり3杯は
いけるくらい、お腹が空きすぎているだろう。


そんな期待(?)をしながら、
目が覚めるのだ。


ところ、どうしたというのだろうか。

いつもの朝と同じように、
そんなにお腹が空いているわけでもない。

朝ごはんを食べてみるが、
いつもの量でお腹いっぱいになり、
おかわりをしなくても大丈夫だった。


寝る前のひどい空腹感は何だったのだろうか。

そう思えるくらい、いつもどおりの朝ごはんで
お腹が満足だから、不思議である。




3、我慢していると
負担が軽くなる?

この記事では、朝起きると空腹がなくなる
体のメカニズムの説明ではなく、

「我慢していると、
ある時を境に負担が軽くなっていく。」
ということについて述べていく。


空腹と戦いながら眠りにつく。
そこまでには、
「カップ麺を食べたいが我慢する。」
という葛藤が常にあった。

その我慢はずっと続くのではなく、
しばらく我慢していると、空腹感が収まっていく。


こうして負担が軽くなっていき、
朝にはさほど空腹は感じなくなるのだ。


このように、我慢をしていると最初は辛いが、
少しずつ負担が軽くなり、
ある時を境に苦痛ではなくなっていくことがある






4、マラソンの疲労感が
軽減される

この例として、マラソンが上げられる。

久しぶりにマラソンをすると、
少し走っただけで心臓がバクバクになり、
苦しくて、もう走れないってなるだろう。


そうすると、マラソンはまた今度でいいや、
ってなることもあるが、
何とか続けようとする。

マラソンを続けているうちに、
多少スピードを上げても、
心臓への負荷がそんなに掛からなくなり、
走り続けていける。
それに、マラソンをすることへの
抵抗感がなくなっていく。


このように、我慢に耐えられないと
三日坊主になってしまうが、
がんばって続けていると、
耐性がついてきて、
そこまで負担がかかることなく
軽快にやっていけるのだ。



5、負担が軽くなる我慢は
良し悪し?

①良い面

「継続は力なり」という言葉があるが、
継続すると負担が軽くなり、
目標達成にグッと近づけることもある


自分は最初、「3ヶ月間ブログを毎日更新する。」
という目標を立てた。

始めて1週間経ったくらいが一番辛かったかもしれない。
それは、書くネタが思い浮かばず、
仕事終わりの疲れと限られた時間で記事を書くのは、
負担がけっこう大きかった。

だが、2週間、3週間と続けていくうちに、
ブログへの負担は軽くなった。

ブログを書く生活に慣れて、
ライティングスキルが上がり、
記事の構成が頭に浮かぶようになったのだ。


このように、何か遠い先に目標があって、
そのための鍛錬として続けたいことがある場合、

最初は辛くても、きっと少しずつ負担が軽くなると思えば、
継続してやっていけるだろう。




②悪い面

この現象は良いことばかりではない。

時には悪い方に作用することもある。


例えば、職場での人間関係が悪く、
その部署に異動したばかりの頃は、
神経を擦り減らしてしまい、
苦痛で仕方なかった。

だが、1ヶ月、2ヶ月と経っていくうちに、
そこまでの苦痛ではなくなった気がする。


当初に比べたら、まだ何とかやっていけそうだから、
負担が軽くなっているのかも?



そう思う人がいるかもしれない。

だが、残念なことに、負担は軽くなっていない
ことが多い。

人間関係が改善されたのならまだしも、
状況が変わっていないのに負担が軽くなったと
感じてしまうのは、
悪い意味で慣れてしまっている。

人間、良くも悪くも、慣れてしまうのだ。


たとえ慣れたとしても、
職場でのストレスや心の負荷は
確実に積み重なっていく。

「多少は負担が軽くなった気がするから、
このまま現状を受け止め続けよう。」
なんて錯覚してしまいがちである。


「負担が軽くなったように感じるのは、
慣れてしまったせいで、
現状は悪化している。」

このように自分を冷静に客観視できれば、
危機感を持って、改善のために行動できる
だろう。



さいごに

「自分の本当の気持ちには気付きにくい。」

こう思うことはないだろうか?


そのような要因として、

自分の今の気持ちを、
当初の自分と比較すること「だけ」で
判断する傾向があるのかもしれない。


自分の気持ちって、
自分でよくわからなかったりする。


だから、以前と比べてどうかとか、
何かの比較対象を持って、
それを判断材料としてみるのだ。

たしかに、それによって、
客観的な分析ができて良いだろう。


しかし、以前よりもマシになったから、
これは改善していると楽観視できない
こともある。


心身へかかっている大きな負荷に慣れてしまい、
体のSOSサインを無視するのに慣れてしまい、
気がついた時には重症になってしまうこともある。


自分を客観的に見るには、
自分だけの会話では見えづらいかもしれない。

家族や友人、病院の先生など、
他の人から教えてもらおう。

慣れることは、良いことに対して慣れて、
さらなる高みを目指す時に発揮したい
ものである。


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