これも必要な1日だったと思えるように。
この記事を読むとわかること
・何もできなかった日は罪悪感を感じやすい。
・そんな1日も、「必要な1日だった」
と思えるようにすれば、意味のある1日にできる。
1、何もできない1日があっても
いいじゃないか。
今日はいろいろしたいことがあったのに、
結局、何もできなかった日はあるだろうか?
平日だと、仕事から帰ったら、
夕食、入浴、家事、就寝と、
いつものルーティンで何もできなかった
というのはよくあるだろう。
この場合なら、忙しくて時間がなかったため、
何もできなくても、
そういうものだと思えるかもしれない。
だが、休日、時間があるはずなのに何もできないと、
1日の過ごし方についての感じ方が変わってくる。
人によっては、「ついダラダラと過ごして、
1日をムダにしてしまった・・・。」
と罪悪感を感じて落ち込むかもしれない。
ここで言いたいのは、
「何もできない1日があってもいいじゃないか。」
ということである。
2、その1日は、
自分の人生で必要な1日である。
充実した1日であればいいのだが、
何もできずに罪悪感にかられてしまうと、
もっと有意義に使いたかったと思うかもしれない。
だが、そんな1日も意味のある1日ではないだろうか。
ある日、ゴロゴロして昼寝して、ダラダラした1日だった。
これは、普段の溜まった疲れをとって、
自分を癒すために必要な1日だったのではないだろうか。
またある日は、溜まった家事や後回しにしていた手続きとかの
こまごましたタスクをこなしていたら、1日が終わってしまった。
これは、次の休日にやりたいことを目一杯やるために、
その準備をした1日だったのではないだろうか。
そう。
この何もできなかった1日は、
あなたの人生にとって必要な1日なのである。
さいごに
何となく体調が優れず、
何もできない時もある。
そんな時に、
「やる気が出なくて自分は意志が弱いなぁ。」
だなんて自分で自分を下げると、
自分を過少評価してしまうことになる。
意志が強いか弱いかではなく、
やれる環境に身を置ければ、
動けるようになるだろう。
今日は、心と体の状態がまだ整っていなかったのだ。
サイクルや波があるから、
不調な日があってもよいのだ。
同じ1日であれば、
何もできなかった日は、
「何かができるようになるために
必要な1日だった。」
と思うのはいかがだろうか。
このように、どんな1日も
前向きに解釈できれば、
弱い自分、落ち込む自分も、
おのずと受け入れられるようになるだろう。