自分で自分をダメと決めてはいないか?
目次
この記事を読むとわかること
・特に何もせず、ダラダラと過ごす1日もある。
・そんな日を「ダメだった日」と決めつけて、
落ち込んでしまう人もいる。
・これは、「ダラダラがダメ」という固定観念があり、
罪悪感に囚われてしまうからである。
・「ダラダラは心身のリフレッシュに必要」と考え、
自分を否定せず優しくしていこう。
・前もってダラダラする日を予定に入れて、
「戦略的ダラダラ」をするのもいいだろう。
1、ダラダラする1日もある。
今日は特に予定もないからのんびりしよう。
そう思って、二度寝、三度寝をして、
午前中の遅い時間にようやく起き出す。
冷蔵庫にあるものやインスタント食品で
適当にご飯を済ませる。
スマホを見たり、マンガを見たり、ゲームをしたり、
昼寝も入れつつゴロゴロする。
外が暗くなり、お夕飯をつくる気になれず、
あり合わせのものを食べて済ます。
そんなふうに、1日をダラダラ過ごす日もあるだろう。
2、「ダラダラ」を「ダメダメ」と
思ってしまう?
ところが、ダラダラと過ごすことで、
落ち込んでしまう日もある。
休日をゆっくりして休めたわけだが、
「何もしなかった。何もできなかった。」
と、自分の1日の過ごし方に対して、
罪悪感を抱いてしまうことがあるのだ。
「趣味に没頭したり、お出かけしたり、
友達と遊んだり、勉強したりしたりして、
活発的で充実した1日を過ごしたかった。」
このように、
自分が思い描く理想の1日とかけ離れてしまい、
ため息をついて1日を終える人も少なくない。
これは、「ダラダラ過ごすこと」が「ダメなこと」
のように捉えていて、
そうした固定観念が罪悪感を引き寄せているのである。
3、ダラダラは心と体に必要と考える。
ダラダラして時間を無駄に使ってしまったと思えば、
ダメな使い方だったという結論になるかもしれない。
だが、その時間は本当に無駄だったのだろうか?
忙しくて気が張っている平日で心身が消耗し、
休日はリフレッシュしたい。
そんな時、スポーツするのがリフレッシュになる人もいる。
また、友達との楽しいおしゃべりでリフレッシュできる。
そして、家の中でゆっくり過ごすのがいいって言う人もいる。
家の中でダラダラ過ごす。
これは心と体がリフレッシュするのに必要な過ごし方だと捉えて、
自分を否定せず、優しく受け入れてあげよう。
4、スケジュールに「ダラダラする」を入れておくのもあり。
【「戦略的ダラダラ」で優雅に過ごそう!】
「本当はやりたいことがあったけど、
ついダラダラと過ごしてやれなかった。」
こう思うと、少なからず、
ダラダラ過ごした自分が後ろめたくなる気持ちもわかる。
それであれば、定期的にダラダラする日を
決めてしまうのはどうだろうか?
「今週は仕事が大変だから、
土曜日の午前中はダラダラしよう!」
こうして、スケジュールに「ダラダラ」を入れてみる。
ダラダラするのって、
ダラダラした後に「今日はダラダラしちゃったな・・・。」
と、後になって思うことが多い。
そこで、前もって、ダラダラする日を予定し、
予定どおりにダラダラするのである。
この「戦略的ダラダラ」により、
罪悪感ではなく、優雅な気持ちで過ごせるだろう。
優雅というのは、
心穏やかな状態でないと手に入れることはできない。
自分が優雅なことをしているつもりでも、
どこかで罪悪感や後ろめたい気持ちがあると、
優雅ではいられない。
土曜日の午前中は予定どおりにダラダラして、
心穏やかに優雅な時間を過ごせば、
心身の良い休息にもなるだろう。
さいごに
自分が学生の頃、
ダラダラして過ごし、特に何もしなかった日は、
日記に、「今日はダメ人間デーだった。」
と書いていたことがあった。
学生の頃は、「何でもチャレンジしたい!」
「時間を目一杯、有意義に過ごしてたい!」
と思っており、
ダラダラ過ごすことを「悪」のように捉えていたのだ。
社会人になって思うことは、
「日々の生活でやりたいことを楽しむには、
しっかり休むことも大切だ。」
ということである。
時間を有意義に使うことばかりに囚われていると、
睡眠時間も削ろうとしてしまい、
日中のパフォーマンスが落ちてしまう。
1分でも多く動こうとするのではなく、
電池が消耗したように中途半端になったりする。
しっかり寝て休んで、
質の高い行動ができると、
満足度が高くなり、
やりたいことが多くできることもある。
心身の状態によっては、
休むことに重点を置いて方が良い時もある。
休んだり、動いたり、このバランスが大切なのだが、
充実した日々を過ごすには、
どちらも自分にとって大切な過ごし方だと認識し、
心身ともに健康で充実した日々を送っていこう!