小学生の頃、
国語の時間に新しい漢字を習う。
少しずつ書ける漢字は書けていくが、
難しい漢字は書けない。
ある授業で、
画用紙1枚に自分の体験談や調べたことを書いて、
クラスメイト1人1人が自分の新聞をつくった。
どんな記事を書いたかは覚えてないが、
たしか、芝生の上でボール遊びを
したようなことを書いた気がする。
芝とボールや人の絵を書き、
残りのスペースに文章を書いた。
こうして完成した新聞は、
教室の壁に貼られて、
クラスメイト1人1人の新聞を眺めていた。
ある時、1人のクラスメイトに、
「これ、なんて読むの?」
と聞かれた。
その指をさす先には、
「しば生」
と書かれた文字があった。
「“しばふ”だよ。」
と自分が答えると、
「えっ?」っていう感じになったが、
自分が続けて、
「しばふの“ふ”は生きるの“生”だよ。」
と補足した。
クラスメイトは、
「こりゃわからないよー。」
っていう反応だった。
「生」という漢字は早い段階で勉強したが、
「芝」という漢字は難しくてまだ授業で習ってなかった。
芝は書けなかったので、
「しばふ」と書けば読みやすかったが、
書ける漢字は書いておきたいという想いから、
「しば生」と書いたのだ。
今振り返ってみれば、
「“しば生”って“しばなま”とか、
“しばせい”とか、
誤った読み方されやすいな。
これなら、“しばふ”って書けば、
クラスのみんなが読みやすかったな。」
って思うのである。
「芝生」でも「しばふ」でも読めるが、
一方のみ漢字で「しば生」だと、
こうも読めなくなるんだな。
逆に、「芝ふ」と書けば、
これなら「しばふ」と読めるが、
なんとも違和感がある。
「漢字」か、
「ひらがな(カタカナ)」か。
これを変えるだけで、
読み方も意味も同じなのに、
それを目にした時の印象が
大きく変わってくるから不思議だ。