今日もしっかり生きよう!
目次
この記事を読むとわかること
今日、自分は自分の意志で何をしたかを日記に書こう。
毎日の短い時間でも「これをやったんだ!」という
生きた証を日記に書ければ、
充実した毎日を過ごせる。
生きた証を日記に書く習慣がつけば、
毎日、生き生きすることができるだろう。
何もない日を過ごしていると、
1年があっという間に感じるかもしれない。
充実した日を過ごすことで、
いろいろあって楽しかった1年にしよう。
1、日記をつける意味
日記をつける理由は人それぞれである。
過去に何をしたか思い返す備忘録だったり、
毎日を振りかえるツールとして使ったり、
記録として残すために書いたり。
自分も日記をつけている。
「毎日を振りかえり、自己成長に繋げたい!」
そんな想いから日記を始めた。
ある時、自分の日記をつける行為には、
もっと根本的な意味があるのでは?、
と思い始めた。
そして、「自分が日記をつける意味」が
わかったような気がした。
それは、
「日記をつけるのは、自分が生きた証を書き刻むため」
ということである。
2、「今日はこれをやったんだ!」を書く
①「特になし。」という日記
忙しくて、特に何もしてないっていう日もある。
その日の日記には「特になし。」と書くだけのこともある。
「特になし。」というのは、
「日記に書き残したいと思うようなことが特段ない。」
ということである。
朝起きて、仕事に行き、家事をして、ご飯を食べて、寝る。
日記に、「今日は仕事に行った。」と書いても、
日々の生活の一部のことなので、
それを書いてもあまり意味がないかなと思ってしまう。
②「本を2ページ読んだ。」でも生きた証
生活のサイクルの中で、
自分が「今日はこれをやったんだ!」
ということがあれば、
日記に書ける。
日記が書きたくなるのだ。
そんな日記が書ければ、
1日を振りかえる時、
「この日生きた証」が誕生する。
「生きた証」といっても、
何か大それたことを成し遂げる必要はない。
平日の忙しい日だと、
時間も気力も生きた証づくりに注ぐのは難しいだろう。
もっと簡単に考えて、
「自分の時間を、自分の意志で、自分のためにやったこと」
これをすれば、生きた証となる。
例えば、寝る前の5分間、自分が読みたかった本を
手にとって、2ページ読んだ。
そうすれば、今日の日記では、
「読みたかった本2ページ読んだ。」
と書ける。
ちょっとしたことでも、
生きた証が書き刻めるのである。
③生きた証は自分基準でつくるとよい
自分にとって、生きた証とは、先ほど述べたとおりである。
「自分の時間を、自分の意志で、自分のためにやったこと」
例えば、人のためにボランティアをした場合も、
生きた証である。
人のためにできたことは、自分の成長にも繋がり、
結果として、自分のためにもなっていると考えるからである。
このように、生きた証の定義は、
人それぞれ、自分基準でつくるとよい。
日記に書いた時に、
「自分は今日という1日にこれをやったんだ!」
ということが書ける。
そんな、充実感があり、
主体的に日々の生活が送れる日記になれば、
それはもう「生きた証」である。
3、大人になっても1年をあっという間にさせない!
①1年が経つ早さは子どもと大人で違う
そもそも、この記事を書こうと思ったのは、
「時の流れの早さは、子どもと大人で違う。」
という話をテレビで言っていたからである。
大人になり、歳を重ねれば重ねるほど、
1年が経つのが早く感じるということだ。
このような現象が起こる理由として、
以下のようなことが紹介されていた。
「子どもの頃は何もかもが新鮮で、
新しい体験をしているので、
1年が長く感じる。
大人になると新鮮に感じるものが少なくなり、
変わり映えない生活を送りやすくなり、
1年があっという間に感じる。」
このような見解であった。
②大人になっても1年を長く使おう!
人に与えられた時間は平等である。
1日は24時間。
1年は365日。
閏年なら366日。
それなのに、
1年が短く感じるのはもったいない。
同じ1年なら、充実した日々を過ごして、
「この1年もいろいろあって楽しかったなぁ。」
と思えるようにしたいものである。
決して、1年をあっという間にさせないのである。
そのためには、充実した日々を過ごそう。
そして、まずは日記に生きた証を書き刻もう!
さいごに
充実した日を過ごし、それを日記に書く。
日記をつける習慣がつくと、
「充実した日記が書けるように、
日々の生活を充実させよう!」
という、充実させるきっかけにもなる。
生き生きしている人はキラキラしている。
生き生きしている人は、毎日を大切にし、
自分らしく過ごしている。
毎日の生きた証を書き刻むことは、
毎日を生き生きさせることに繋がっていくだろう。