「おいしい!」、だから、自分でもつくりたいと思う!


例えば、高級
フレンチレストランで、
シェフのおすすめ料理を注文する。


テーブルに運ばれる料理を目にして、
「すごい!!」

ってなる。


食べてみると、
なんとも美味!




「あぁ・・・。おいしい・・・!」



普段食べているものとは違い、

この見た目、
この盛り付け、
この食材、
この食感、
この味。


どれも新鮮である。



「これは、自分には到底つくれないな。
またいつか、記念日とかにお店を予約して、
この料理を再び堪能したいな。」

なんて思うのである。




また、こう思う人もいる。


「この料理、自分でもつくってみたい!」


って。


自分はこっちのタイプである。



なじみのない食材や味、調理工程であるため、
再現するのは難しく感じる。

それでも、自分でつくってみたいと思うのだ。


フレンチレストランでこの料理を食べて、
幸せな気持ちになれた。


今度は自分でつくってみて、
家族や友達が幸せな気分を味わってくれたら嬉しい。



そんな想いが、
自分でも作ってみたいと思う原動力である。




料理をする時、

・冷蔵庫から食材を取り出して
・食材を切って
・焼いて
・味付けして
・盛り付けて


食べた後は、

・流しに食器を運んで
・食卓テーブルを布巾で拭いて
・お皿洗いして
・流しを拭いて



このように、後片付けまで含めて、
料理をするのに時間がかかることが多い。


「2時間弱かけて料理に費やしたのに、
食べる時間は10分だなんて・・・。」


こんなふうに考えると、
料理つくるのが億劫になってしまうかもしれない。


特に一人暮らしだと、
自分が食べるだけなので作り甲斐がなかったり、
つくる量は少なくて済むから、
スーパーでお惣菜買った方が
そこまでの出費にならず時短だったりする。



これって、料理を「食べるための作業」と考えると、
効率化や時短だけに意識するとよいだろう。



だが、「食べてくれる家族のためにつくれるのが幸せ」
だったり、

「料理をしてできあがっていく過程が楽しい」
だったり、


「作業」以上の価値が見いだせるのなら、
手間や時間はあまり苦痛には感じないのだ。



自分のつくった料理で、
食べた人が幸せな気分になってほしい。


単純な理由かもしれないが、

それが料理が楽しいものになって、
料理をすることが生きがいとなるのである。





試食会の準備のため、
夜中にほぼ徹夜でお菓子づくりをしたことがある。


試食会のためという、
ある程度の強制力はあったにしても、
ほぼ徹夜してでもお菓子づくりができるパワーは
どこにあるのだろう?



料理というものが、
人のためにできて、
それが自分にとっての生き甲斐になる。


だからこそ、
ほぼ徹夜でも、
料理を楽しくやっていけるのだ。


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