「天国だー!!」って感じるひととき

花

幸せって、嬉しいの積み重ねなのだ!







この記事を読むとわかること

・「天国だー!」って感じたのはどんな時かをご紹介。

・自分が天国だと感じた時は、
冷えきった体を温水に浸かった時や、
絶食した後にご飯を食べる時である。

・何かを我慢した後に得られるものって、
嬉しさも格別。

・幸せって、温泉のように、
単純に考えてもよい。

幸せを感じる生活って、
嬉しさの積み重ねだ





1、「天国だー!」って感じる
ひととき

嬉しさが感極まり、極楽で幸福感に浸っている状態。

そんな時、人は、「天国だー!」って感じるだろう。


思わず、「天国だー!」って口にしてしまう瞬間って
どんな時だろうか?

自分が感じた時の体験を次に紹介する。




2、「天国だー!」の体験談

①冷たいプールからの温水プール

学校や習い事で、プールに入った時のこと。

プールの水温は天候や気温によって変わってくる。

ある日、めちゃくちゃプールが寒かった時がある。

体が凍るんじゃないかってくらい冷たすぎる。

学校の授業や習い事なので、我慢して、
最後までプールに浸かって泳ぐのである。

体が芯まで冷え込み、やっと終わった。

プールから上がった後は、
温水のミニプールで体を温めることになっていた。

その時の温水プールが暖かいのなんのって!

凍りそうな体がぬくもりを取り戻し、
体のすみずみに心地よい温かさが染みわたる。


その時の温水プールは、
まさに天国であった。




②悪天候の登山からの温泉

富士山に登った時のことだった。

8合目まで登り、山小屋に泊まった。
次の日の早朝、台風が接近しているため、
頂上を登るのを断念し、
下山することになった。


時折、強風や雨で体が冷えて根をあげたくなるが、
慎重に下山していく。

無事に下山した頃には、
体が冷えきっているし、
心身ともに疲労困ぱいだった。

そこから近くにある温泉に行った。

体を洗った後、温泉に浸かった時、
天国のようだった。

長時間冷え続けた体が温まっていき、
体の疲れや痛みがとれていく感じがした。
そして、心がホッとする安堵感。


今までいろんな温泉に入ってきたが、
あんなにも幸福感に満ちたのは、
あの日のあの温泉であった。




③絶食からのご飯

小さい頃、入院し、
ある日、丸1日食事がとれないことがあった。

理由は忘れたが、たぶん治療のため、
水以外は口にしてはいけないのであった。

その頃はまだ小さかったので、
なんで食べてはいけないのかわからず、
何か食べたいと訴え続けていた。

売店にあるおにぎりや惣菜パンを
食べたくて仕方なかった。

お腹が空きすぎているし、
入院中なので何もできないし、
ただ辛抱して時間が過ぎるのを待っていた。

やっとのことで、丸1日が経った。

そして、夢にまで見た食事ができた。

その時に食べた病院食が、
美味しくて美味しくてたまらなかった。


ご飯を口にし、空腹な体に生命が
満ちていく感じであった。






3、何かを我慢した後に
得られるものって格別!

自分が「天国だー!」って感じた時は、
共通しているものがある。

それは、何か我慢するものがあって、
それを乗り越えた後に得られた時
であった。


温泉に入ったり、ご飯を食べる時って、
幸せを感じる。

そこに、極限に体が冷えきっていたり、
空腹を我慢し続けていた後になると、
その幸せが格別なものになる。

そうして出てくる言葉が、
「天国だー!」になるのだ。





4、幸せって、温泉のように
単純に考えてもよい。

自分の体験談では、
結果的に我慢し続ける状態になり、
その後に格別な幸せを味わった。


温泉の「ととのう」状態も、
それに近いのかもしれない。


サウナで汗を流し、
水風呂で体を究極に冷やす。

そして、またサウナで体を熱する。
そのくり返しで、ととのっていく。


自分は水風呂で体をキンキンに冷やした後、
温泉に入ると、温かさが格別である。

フラットな状態で温泉に入るよりも、
幸福感に満ちていく。



「幸せってなんだろう?」
これは人によってさまざまであり、
正解のない問いなのかもしれない。


でも、幸せって、
水風呂の後の温泉のように、
単純に考えてもよい
だろう。


・1週間の仕事が終わった後の
プチぜいたくなディナー

・お風呂から出た後に食べるアイス


このように、身近で平凡なところに、
幸せって転がっていたりする。




5、幸せな生活って、
嬉しさの積み重ね。

幸せって、人によって感じ方は違ってくる。

自分の場合、幸せな生活だと感じるのは、
嬉しさが積み重なっていく生活だと考える。


「天国だー!」って感じるほどでなくても、
生活の一部分で嬉しいって思える時を大切にする。


そういう嬉しいって思えることを体感していく。


そんな嬉しい時が、数ヶ月に1回しかない生活より、
毎日の中で数回はある生活の方が、
「幸せな生活」だと感じるだろう。

頻度や回数だけでは測れないかもしれないが、
あとでふりかえった時、
嬉しいって思える時がよくあって、
幸せな生活だったな
。」と思えてくるだろう。




さいごに

幸せだなって思っていても、
その状態がしばらく続いていると、
その状態に慣れていく。

そうすると、幸福感はだんだん薄れていく。


なので人間は、ずっとずっと幸せを
感じ続けてはいけないのだと考える。


大きな幸せはなかなか見つからなくても、
小さな幸せは、いろんなところに
転がっていることがある。


考え方、行動のしかたによって、
たとえ小さくても、
幸せって感じることができる。


幸せを感じ続けることはできなくても、
幸せって思える時がそれなりにある生活なら
送っていけるのではないだろうか。


幸せが来るのを待っているのではなく、
幸せを手に入れようとするのでもなく、
どうすれば幸せだと感じるのか考えて、
それを実践してみる


そこに、幸せのヒントがあると
自分は考えている。








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